アシックス創業者であり・・・。


 大手スポーツ用品メーカー、アシックス(本社・神戸市)の創業者で会長の鬼塚喜八郎(おにつか・きはちろう)さんが29日、死去した。89歳だった。社葬の日程は未定。

 鬼塚さんは鳥取県生まれ。1949年、神戸市で鬼塚商会(当時)を創業した。77年の3社合併でアシックスを発足し、社長に就任、92年から会長。連結売上高1945億円、従業員4230人(07年3月期)の世界的なメーカーに育てた。世界スポーツ用品工業連盟会長、神戸経済同友会代表幹事、日本バスケットボール協会会長なども務めた。

 長野県の部隊で終戦を迎えた。「生き残った者の務めとして、次代を担う青少年のために仕事をしたい」と、履物の町・神戸で靴作りを学び、事業化した。64年の東京オリンピックでは同社製シューズなどを着用した選手が金メダル19個を獲得し、話題を集めた。

 ◇「子供に夢を」原点に成長

 鬼塚喜八郎さんは、起業の原点を「戦後、焼け野原で見た少年少女」と語った。ヤミ商売や非行に走る子供たちに夢を与え、立ち直らせようと運動靴作りに踏み出した。この思いが無名の鬼塚商会を世界的スポーツメーカーに育てた。

 創業は1949年3月。履物の町・神戸の工場に通って金型作りなどの技術を学んだ。バスケットシューズ製造では高校の部活動を見学して改良を重ね、急ストップ・急スタートに対応する凹型靴底を考案。鬼塚式タイガーバスケットシューズを誕生させた。見本を手に西日本一帯の小売店に飛び込み、売り込んだ。

 マラソンシューズには空冷式オートバイの原理を応用。足の甲を覆う部分に目の粗い布を使い、周りに穴を開けて風通しを良くした。その成功もあって売上高は10億円近くに達し、64年に大阪証券取引所に上場した。

 また、ローマ五輪(60年)のマラソンで優勝したエチオピアアベベ選手が翌年、毎日マラソンで来日した際にはアベベ選手のホテルを訪ね、シューズを使うよう説得。「裸足の王者」は「世界一軽いシューズ」を履き毎日マラソンを制した。

 77年に社名を「アシックス」に変更。ラテン語の「アニマ・サーナ・イン・コルポレ・サーノ」(健全なる精神は健全なる身体に宿る)の頭文字から取ったもので、創業時の決意を託した。05年の毎日新聞のインタビューでは、少年犯罪の多発などについて「大人が大きなことを怠ってきた。子供たちに正当な仲間として接し、正常な人間の営みを教える必要があった」と語った。

 現在は大リーグのイチロー選手やシドニー五輪女子マラソン金メダリスト、高橋尚子選手らの特注シューズメーカーとして知られるアシックス。来年には創立60周年を記念し、本社敷地内に企業博物館「アシックス・スポーツ・ミュージアム(仮称)」を新設する計画で、鬼塚さんも完成を心待ちにしていたという。

バスケ協会傀儡政権の長である鬼塚喜八郎さんがお亡くなりになったそうです。ご冥福をお祈りします。
さて、これでまた奴が暗躍しなければ良いのですが・・・。