踏ん張れ!イビチャ・オシム!


 サッカー日本代表イビチャ・オシム監督(66)が16日、千葉県内の自宅で急性脳こうそくで倒れ、同県浦安市順天堂大浦安病院の脳神経内科脳神経外科に緊急入院した。現在集中治療室(ICU)で医師団の治療を受けているが、日本サッカー協会によると、病状は「急性期のため不安定」という。

 同日午後、日本協会の川淵三郎会長が緊急で記者会見を開き、明らかにした。オシム監督は同日午前2時ごろ、自宅で海外のサッカー中継を観戦後、2階に上がった際に倒れたという。

 191センチ、90キロのオシム監督は心臓に持病を抱えており、毎月高血圧や糖尿病の検診を受けるなど体調には気を配っていた。しかし、14日のアジア・チャンピオンズリーグ決勝や15日のJ1千葉の練習試合に顔を出すなど直前まで元気な姿を見せていた。

 川淵三郎会長は「(病状は)かなり厳しい状況。今は代表チームがどうこうより、命を取りとめてほしい」と涙ながらに話した。

 オシム監督は、2003年に千葉監督に就任。「考えて走るサッカー」を掲げ05年のナビスコ杯でクラブ史上初のタイトルに導くなどチームを強化し、その手腕を買われ昨年7月、ジーコ前監督の後任として日本代表監督となった。

 昨夏のドイツW杯で惨敗した代表の立て直しという難しい作業だったが、「俊敏でアグレッシブな日本らしさ」を強調しながらまとめあげ、今年夏のアジア杯は4強どまりだったものの、秋口からの欧州遠征で強豪のスイスを破り、エジプトに快勝するなど強化は確実に進んでいた。


 オシム監督は1959年に故国ユーゴスラビアサラエボのチームでプロとしてのキャリアをスタート。日本には1964年の東京五輪ユーゴスラビア代表として来日しており、その際、日本人の温かいもてなしが、再来日を決めた理由の一つとされている。その後、フランスのチームを渡り歩き、1978年に現役を引退。12年の選手生活で85得点した。

 引退とともに監督業に転身し、1990年のイタリアW杯では代表監督してユーゴスラビアをベストに導いた。その後はギリシャオーストリアのクラブチーム監督を務めるなどした。市原では2005年にナビスコ杯で優勝を遂げた。

 サッカーの一方で名門サラエボ大学で数学や物理学を学び、その発言は「ライオンに襲われた野ウサギが逃げ出すときに肉離れをしますか」などウイットに富んだ哲学的な発言が多く、「オシム語録」として、日本でも人気を博している。

★代表プランに大幅な狂い…年明けから南アW杯予選も

 オシム監督にとって最大の目標は、2010年南アフリカW杯。その出場をかけたアジア地区予選は、すでに始まっているが、シードされた日本は、来年2月の3次予選から参戦する予定だ。

 4大会連続出場を目指す日本は、10月のエジプトとの国際親善試合(4-1で日本の勝ち)をもって今年の全日程を終えており、指揮官の不在はただちに影響しないものの年明けの1月下旬に行われる国際親善試合(2試合予定)を経て、南アW杯への長い道のりが始まる。今年9月の欧州遠征以降、いい流れできていただけに、このままオシム監督が復帰できないとなると今後の代表プランも大幅に狂ってくる。

 「今は代表どころでは…」と川淵会長は声を落としたが、理論と実戦、緻密かつ情熱的な読みと指導で選手の絶大な信頼を得たオシム監督の代わりは、見当たらない。

 来年2月から始まる3次予選はドイツW杯で苦杯をなめた豪州を加わえた20チームを5組に分けたリーグ戦で行われ、各組の上位2チームが最終予選に進む。

 指揮官は復帰できるのか−。関係者だけでなく日本中が見守った。

★海外のメディアも速報
 サッカー日本代表オシム監督が倒れ、入院したニュースを海外メディアは16日、相次いで速報した。

 ロイター通信は午後5時すぎに至急電で報じた。続いて事実関係、経歴、日本代表での戦績などを詳細に報道。AP通信も日本国内のメディアの報道を引用し、川淵三郎・日本協会会長の談話などを伝えた。

日本サッカー協会川淵三郎会長の話
「サッカー協会にとってもショックな出来事。代表のことより、オシム監督に治ってほしい。命を取り留めてほしい。症状は不安定で長期的な展望を語る段階にない。最善の治療を行っている。」

何とか命だけは・・・、助かってください・・・。